NISA貧乏と甲子園から考える「目的」の取り戻し方

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いよいよ明日から第98回選抜高校野球が始まります。球春到来、当たり前の風景がそこにあります。ですが、今から6年前の2020年、100年以上の歴史が途絶え、甲子園が中止になりました。当たり前が消えた夏を覚えていますか。

僕もかつては高校球児でした。弱小公立校の万年補欠。それでも、何の疑問も持たず、ただ盲目的に甲子園を目指していました。今振り返れば不思議です。プロを目指すわけでもない僕が、なぜあんなに必死だったのか? それは『甲子園を目指すこと』自体が正解だと疑わなかったからです。

これは、かつての僕のような球児だけの話ではありません。今の時代でも、将来の不安からNISAやキャリアアップに必死になっている方々にも共通する話です。『お金を増やすこと』や『資格を取ること』が目的になり、その先のある『何のために』が消えていたりします。

「正解枠」という名の思考停止

多くの人はいつからか、社会が用意した「正解の枠」に収まることがゴールだと思っています。

  • 偏差値の高い学校に行くのが「正解」
  • 安定した企業に就職するのが「正解」
  • 新NISAで満額積み立てるのが「正解」

しかし、コロナ禍が証明してくれたのは、その「枠」は一瞬で壊れる可能性があるということ。そして、正解の枠にいることがゴールになると、枠が消えた瞬間に多くのものを見失ってしまうということです。

「NISA貧乏」に見る手段の目的化

最近、将来のためにと今現在の生活を切り詰め、必死にNISA枠を埋めようとして「今の生活」が苦しくなっている人が増えています。いわゆる「NISA貧乏」です。友人とのお茶代や、家族との旅行を削ってまで、30年後の数字を積み上げる。これは本末転倒ではないでしょうか?

ここで一度、自分に問いかけてみてください。
「わたしは、何のために、お金を増やしているのか?」

お金を増やすことは、あくまで「人生を豊かにする」「選択肢を増やす」ための手段です。しかし、いつの間にか「積立額を増やすこと」や「スマホで評価損益の数字を眺めること」そのものが目的になっていないでしょうか。

手段が目的化したとき、私たちは手段の奴隷になります。 私たちが「当たり前」と信じ込んでいるブームや常識の裏には、必ず誰かの利益があります。100年以上の伝統がある甲子園ですら、冷静に見れば「感動」という商品を売るための巨大な興行(商売)という側面があります。

「みんながやっているから」「これが正解だから」と思考を止めて手段の奴隷になると、知らぬ間に誰かの戦略にはまり、搾取される危険性すら出てきます。

「自分軸の枠」を創る時代

もし、NISAをする目的が「人生を豊かにする」「選択肢を増やす」ことにあるのなら、全財産を投資に回すという選択肢以外もあるはずです。

今この瞬間の人生を豊かにし思い出という資産になる「家族旅行」にだってお金を使っていいし、将来の選択肢を広げるための「自己啓発」に投資するのも立派な選択肢になりませんか。

大事なのは、次の2点に集約されます。

  • 誰かが決めた「正解という外側の枠」に自分を無理やり合わせないこと
  • 自分の「内側の願い(目的)」に合わせて、最適な手段を自ら選ぶこと

世間では「多様性」という言葉が溢れていますが、その本質は「みんな違っていい」だけでなく、「自分に合った枠(生き方)を自分で創ること」にあるのではないでしょうか。

4. 「何のために」を口癖にする

もし今、あなたが何かに追われて息苦しいなら、こう問いかけてみてください。

  • 「何のために、この仕事をしているのか?」
  • 「何のために、この資格の勉強をしているのか?」
  • 「何のために、投資をしているのか?」

目的が明確になれば、手段は一つではないことに気づけます。NISAが苦しければ金額を下げればいいし、会社が辛ければ別の稼ぎ方を探せばいい。

将来が不安なら、不安に立ち向かえるように自分に投資をしてもいい。

「当たり前」を疑い、誰かが作った戦略や正解枠から抜け出し、自分だけの「目的」を再定義してみませんか?

今回はこの辺で、したっけね!!

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